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プロローグ
5月下旬、川端康成の目に映る「雪国」は春を迎えようとしていた。澄み切った青空と白い雲、鮮やかな緑が広がる土曜日の朝。目の前には棚田が広がり、鯉の泳ぐ池がサファイアガラスの鏡のようにキラキラと天を映している。
「ほら、あそこから来たんですよ」福田さんはヘルメットを脱いで電動自転車を停めた。彼は遠くの山の斜面に佇むレンガ色の建物を指差した。「この遠近感、山の珍しい凹みが好きなんです。まるで盆地のようで、頂上に立つと景色が広がるのに、遠くの畑で働く農民がすぐそばにいるような気がします。子供たちが "ミニチュアの庭 "で遊んでいるのを見たことがありますか? そんな感じです」。
福田さんは5年前、この地域の観光振興に乗り出した。日本の多くの地方がそうであるように、山古志も人口減少、住民の高齢化、コミュニティ機能の低下という大きな変化に直面していた。国は、観光振興をこうした人口問題に対処し、地域活性化を実現するための重要な手段と位置づけていた。2003年、小泉政権は国家戦略「観光立国」を打ち出し、経済発展における観光の位置づけを確立した。2014年、安倍政権は 「地域活性化」というスローガンを打ち出し、「地域の成長活力の回復と人口減少の克服」を目指した。そんな中、福田さんは自治体に招かれ、観光客や消費者、さらには新たな住民を呼び込むために、地域の特産品をPRしたり、旅行プランを作ったりした。
しかし、福田さんが参加した観光戦略は、期待された成果を上げることはできなかった。予期せぬコロナ禍の発生が、当初の計画を狂わせたのだ。「せっかく準備を進めてモニターツアーを企画したのに、人が集まらなかったんです」。
私は福田さんに向き直り、彼の話を続けた。「そして、デジタル住民コミュニティが誕生したんです」。茶色の半袖シャツに黒のパンツ、白いスニーカーを履いた細身である。彼のTシャツには、自作の「錦鯉NFT」のデザインが入っていた。
2021年12月、山古志地域はブロックチェーンやNFTといった新たなテクノロジーを活用し、「Nishikigoi NFT」と呼ばれるデジタルアート作品を発行した。このデジタル「錦鯉」の保有者は、地域の「デジタル村民」となる。同時期、岸田内閣は「デジタル田園都市国家構想」の実施を議論しており、デジタル庁は中央と地方のデータ資源を統合し、全国的なデジタル変革を推進するために3ヶ月前に設立されたばかりだった。シリコンバレーをはじめとする世界のハイテクハブでは、最新のデジタル技術をめぐる新たなノウハウや実践が台頭していた。ソーシャルメディアの巨人フェイスブックは、「メタバース」という没入型の仮想世界へのコミットメントを示すために、「メタ(Meta)」というブランド名に生まれ変わった。一方、「反プラットフォーム独占」と「分散化」の旗印の下、暗号技術に支えられた自称「Web3」勢力の新しい波が現れた。
デジタルコミュニティを作ろうという構想は、コロナ禍以前から竹内さんが持っていた。山古志のNPOに所属する竹内さんは、18年前の中越地震の後、ボランティアとして震災復興支援を始めた。オレンジがかった赤毛のショートヘアで、笑うと目が三日月のようにカーブする。闘牛場の外で出会った彼女は、スカイブルーの帽子をかぶり、おそろいのマニキュアを塗っていた。「このプロジェクトが始まった当初は、未来がどうなるかなんて誰にもわからなかった。何人かのエンジニアや起業家と話し合った後、竹内さんたちは「1万人のデジタル村民を集める」という野心的な目標を掲げた。彼女にとって「デジタル村民コミュニティ」は、過疎化が進む辺境の村の持続可能な自治を実現する最良の方法なのかもしれない。
非自治体の自治
デジタル村民コミュニティの開始は、日本の中央政府と地方自治体の間のパワー・ダイナミクスの波紋を表している。「自治体」とは、都道府県、市区町村を包括する行政組織を指す。日本の総務省の2016年のデータによると、全国に1,718の市町村がある。2005年の「平成の大合併」によって、山古志村は「村」から「地域」へと移行し、長岡市の管轄となった。市政の画一化により、山古志は財政配分の制約を受け、住民の意向に沿った展開が十分にできなかった。そのため、竹内さんらは、長岡市役所を迂回し、地域活性化のための中央資金を直接申請する道を選んだ。1990年代の経済不況以降、中央政府は「地方自治」を奨励し、地方分権改革を推進してきた。このような背景から、山古志は既存の税と再分配の仕組みの下での周辺的な位置から脱却し、新たなガバナンスメカニズムと財源を構築することを選択したのである。
農村のイメージとコミュニティ構造
新しい仕組みは、既存の農村のイメージやコミュニティ構造と絡み合っている。日本の農村社会は一般的に、保守的で集団主義的なコミュニティとして描かれている。福田さんが私に話してくれたように、新たな技術的媒介の下での自治というアイデアは当初懐疑的で、多くの村人が慎重な見方をしていた。「しかし、コロナ禍は私たちに選択肢のなさを感じさせました。しかも、十数か所の集落の意見をまとめるのは非常に難しいことがわかったので、インターネットで仲間を募集すればいいじゃんと思ったのです」。竹内さんは「長老たち」の承認を得てから、新しい自治の形を模索しつつ、未知の海へと航海を始めた。
「自」とは誰か?どう「治」するのか?
竹内さんたちの概念では、「自」は地域住民だけでなく、「デジタル村民」と呼ばれるインターネット上の見知らぬ人を含む「共感者」をも包含する。竹内さんは常に自分を「他所者」として見ているのだろう。そのため、彼女は「我々」と「他所者」という2つのカテゴリーの境界を再定義しようと努力していた。早稲田大学のドミニク・チェン教授の言葉を借りれば、これは「私たちという感覚の拡大」を意味する。
新たな「私たち」の出現は、ブロックチェーン、NFT、Discordのようなソーシャルメディア・プラットフォームといったテクノロジーを通じて、ネットワーク化されたコミュニケーションの「水平的」空間を生み出し、新たなガバナンス・メカニズムを生み出した。「水平」は、階層社会における日常生活に典型的な「垂直」とは対照的である。徳島県三好市のデジタル住民コミュニティの創設者であるガンガンさんの取り組みのように、このような縦型社会に対抗する同様の取り組みは、他の場所でも観察することができる。東京の大企業の社員であったガンガンさんは、2022年の夏、企業研修の機会を利用して2週間四国を訪れ、ウェブ3.0の下での民主主義と組織文化の新時代を構想し、コミュニティを立ち上げた。
新しい民主主義の実験場
"人は生まれながらにして自由であるが、いたるところで鎖につながれている" ルソーの『社会契約論』の冒頭の一文は、民主主義の「罠」を警告している。現代西洋の代議制民主主義の欠点に対応するため、暗号経済学の実践者たちは、分散型自律組織(DAO)内で提案が投票されるトークン・ベースの民主的ガバナンス・システムを提案している。「議会制民主主義では現代の課題に適切に対処できない」とDAOのリーダー、レベッカ・リップマンは言う。「DAOは、海や地球といった私たちに与えられたものを守るための新しいガバナンス、新しい民主主義の形を構築するために生まれたのです」。しかし、研究によれば、暗号化された投票システムの実用的な実装には、参加率の低さ、権力の再中央集権化、権力の自己検閲という3つの大きな特徴が反映されている。チューリッヒ工科大学の研究者フリッチュ、ミュラー、ワッテンホーファーは、3つの主要な暗号ガバナンス・システムであるCompound、Uniswap、ENS内の投票システムを調査した結果、DAO内の提案投票に参加するトークンは10%未満であるのに対し、米国企業の株主の約70%が投票に参加していることを発見した。その結果、決定は少数派のトークン保有者によって決定される傾向がある。とはいえ、主要なトークン保有者は一般的に、コミュニティの決定を覆すのではなく、大多数の小規模トークン保有者の決定に同調する。
人類学者デイヴィッド・グレーバーは、「民主主義」に関する論文の中で、一連の示唆に富む質問を投げかけた: 民主主義」は本質的に西洋的な概念なのだろうか?それは統治の形態(共同体の自己組織化の様式)を指すのか、それとも政府の形態(国家機構を組織化する一つの特定の方法)を指すのか。日本の民族学者、宮本常一は『忘れられた日本人』(1984年)の中で、日本の村落における地域的な民主主義の形態を描いている。畑中章宏(2023)によれば、宮本は平民の歴史を探求する中で、村落共同体が単に「共同性」に束縛されていたのではなく、「世間」として知られる外界と絶えず相互作用し、流動的な文化生活を生み出していたことを発見した。この文化は、ある種の公共性を指し示していた。近代的な観点から見た共同生活や慣習は多くの点で遅れていたが、民主的な意思決定メカニズムに代表される民俗学的な意味での合理性は存在していた。この合理性は「寄り合い民主主義」と名づけることができる。
デジタル村落共同体の創始者たちの目には、DAOが提唱するテクノロジーと村の土着民主主義は一致している。Hommaさんのような活動家にとって、山古志のような縮小していく村は、新しい民主主義を提唱するのに十分な「余白」を持っている。「本来のシステムがうまくいかなければ、数百人、あるいは1〜2千人の地域で実験すればいい」村で開催された闘牛の全国大会の観客席で、彼は熱心に私に直接民主制についての見解を語り、西日本の別の村での活動についても言及した。その目の輝きから、私は最前線に民主主義を実践する先駆者たちのエネルギーを発見した。
地方財政に対する国の期待
昨年10月、竹内さんにインタビューした際、新たな財源についての見解を尋ねた。しかし、竹内さんは「お金」の話には直接触れず、「仲間」と「人」の重要性を強調した。私の質問の発端は、国が地方自治体に期待する「財政の健全化」だった。総務省の地方財政分析によると、2021年度末の債務残高は約191兆円と高水準で推移している。このような財政状況の中、地方財政局には地方の「財政健全化」を推進する先導的な役割が期待されている。北海道夕張市の破綻は、全国の自治体への強い警告となった。2009年4月、日本では「地方公共団体財政健全化法」が施行された。これらの法整備は、地方自治体が自立を目指し、中央財政への過度な依存を減らし、「自治」を実現することを国が期待していることを示すものである。「自治」という言説は、「新自由主義」改革の特徴を帯びていると批判されるかもしれないが、地方自治体が完全に「独立したリスク負担者」になったわけではない。例えば、国は「地方交付税」によって自治体間の税格差を調整している。
デジタルアートからの収入といえば、日本の「ふるさと納税」制度を思い浮かべる。このコンセプトは、2006年に当時の福井県知事であった西川一誠氏が若者の流出を懸念し、若者の育成にかかる地方負担を相殺するための外税方式を提案したことに端を発する。2011年の東日本大震災後、2008年に正式に創設されたふるさと納税は、日本国民が「特定の地域を支援する」手段へと発展した。しかし、ふるさと納税は利他的・道徳的な理由(ふるさとを応援するため)よりも、現実的・功利的な理由(返礼品を受け取るため)で行われることが多いことも、研究者の間で明らかになっている。多くのデジタル村民は、ふるさと納税という「お金」の関係だけが、「人」と「場所」をつなぐ唯一の手段であってはならないと考えている。デジタル錦鯉は、人里離れた山村をグローバルなインターネット市場に結びつけるだけでなく、「持続的」な参加の窓を開き、人と場所の関係を現実的な次元からより感情的な次元へと拡張する。
市民社会
ボランティア精神
農村コミュニティ活動への持続的な参加は、利他的なボランティア精神を反映している。日本では、社会貢献に熱心な個人の数が増加しており、その割合は1974年の35%から2017年には65%に上昇した(坂本、羽田、梶原、2019年)。ボランティア活動や社会貢献への意識が広まった背景には、景気低迷による職場離れ、NPO法などの関連法の制定、「新しい公共」の政治理念の推進、震災時の歴史的な支援活動など、さまざまな要因がある。
しかし、実際にボランティアやNPOに携わる人は依然として少数派である。2021年内閣府「市民貢献に関する調査報告書」によると、ボランティア活動への参加率は2割に満たず、不参加の主な理由は「時間がない」となっている。中でも高齢者の参加率は高く、活動種別では「地域づくり」が突出している。2018年「第48回衆議院議員総選挙全国意識調査」では、「NPO・地域づくり団体」への加入は1.5%にとどまった。
NPOへの参加と比較すると、日本人は災害支援やスポーツイベント運営などのボランティア活動への参加意欲が高い。坂本・畑・梶原(2019)によれば、これは日本人が特定の団体に所属せず、分散的・非持続的な対人関係を求めていることを反映しているのかもしれない。デジタル村民コミュニティは、その法的地位が不確かであるにもかかわらず、コミュニティ形成組織により近い。コミュニティの中で、参加者は持続的で安定した対人環境を求める。
伝統的な「参加」とは異なり、デジタルプラットフォームでのボランティア活動は、時間と空間の面で柔軟性を提供し、複数の生活領域(職場や家族など)の緊張のバランスをとるのに役立つ。エズラ・ヴォーゲルが描いた1970年代、新興中間階層の「サラリーマン」は、会社にどっぷりと浸かっていた。公務員や自営業者に比べ、会社員は公共サービス領域への関与が少なかった。現在、デジタル・コミュニティでは、「ただの会社員です」というメンバーによく出会う。さらに、コミュニティは高校生から70歳以上のシニアまで、多様な年齢層にまたがっている。主な活動層は20代から50代で、中心メンバーは30代と40代に集中している。
第三の場(サード・プレイス)
参加への重要な動機は、「第三の場」の探求にある。1970年代の「日本人論」では、中根千枝や杉山レブラのような学者が、日本文化における「場」の重要性を強調した。中根は、日本人は肩書きよりも組織への所属を重視すると主張した。現代における個人化や価値観の多様化の過程で、この本質主義的な視点は徐々に否定されてきた。しかし、「場」への精神的な欲求は衰えていないようだ。2010年代初頭には、「無縁社会」をめぐる言説が登場し、人類学者のアン・アリソン(2013)はこれを「不安定な日本」の象徴と解釈した。マティアス・オメンが日本のオンラインゲーマーを調査したところ、若者はますます仮想空間に「居場所」を求めるようになっていることがわかった。彼はこの現象を「ファンタスティック・インティマシー」(fantastic intimacy)と呼び、ファンタジーを共有することで築かれる親密な関係だという。興味深いことに、こうした親密な関係がオフラインの社会的アイデンティティと乖離している一方で、プレイヤーはオフラインの交流にまで広がる「本物の」(genuine)つながりを熱望していることがわかった。
私の発見もこれと同じようなものだが、このような「サード・プレイス」でのつながりを 「ファン・ファミリーの親密さ」と呼ぶことにしたい。竹内さんは、デジタル住民コミュニティをファンクラブとして想定しており、そこでの参加は感情的な動員に基づいている。デジタル住民コミュニティは、消費者から共同創造者への転換を促す。その結果、地域は「消費的な観光地」から「共創的な故郷」へと移行する。同時に、デジタル住民コミュニティは強い「家族」の雰囲気を醸成する。毎日の「gm」(おはよう)の儀式、デジタル化された風景や料理の美味しさ、オンラインやオフラインでの定期的な会合などを通じて、私はコミュニティ・メンバーの間で感情的な労働や帰属意識が発酵していくのを目の当たりにする。「ブロックチェーンというよりは、ファミリチェーンのようなものです」とガンガンさんは説明する。
多くの投資志向のNFTコミュニティが強調する「権利」意識ではなく、「役割」意識に突き動かされたメンバーは、個人的な関わりを通じて「第三の場」を創造する。日常的な語りの中で、会員は「NFTを購入してコミュニティに参加することでどんな権利を得るか」ではなく、「このコミュニティ/組織の中でどんな役割を果たせるか」を強調する。役割意識は内部階層化も伴う。誰が「主役」で誰が「応援役」なのかを、参加者の関わりレベルに応じて判断する。「もし、あの人がいなかったら、鳥や獣のように散ってしまうだろう」という冗談もよく聞かれるが、それはサード・プレイスの存在が、カリスマ的リーダーの活動と密接に結びついていることを反映している。
「多様性」や「幸福」は、しばしば「サード・プレイス」で得られる贈り物とされる。関東の都会出身のHommaさんにとって、村や町の多元性(plurality)はワクワクするものだ。そして福田さんは、「誰もあなたに何も期待していない。だから何をやってもみんな喜んでくれる。一律の判断基準から一瞬解放されたような気がします。家庭でも仕事でも、ベストを尽くせないことがあるからじゃないですか?" 福田さんは、資本主義社会における金銭的な基準を超えて、「幸せ」の源泉を指し示す新たな可能性を思い描いている。
危機感
サード・プレイスの形成は、人口減少や文化消滅の危機と切り離せない。山形県出身のワキさんは、「高校時代、地元の先生たちは私たちに大都市に出るように勧めた」と回想する。徳島に住むトモさんは、このジレンマを強調した。「地元の人たちは、若い人たちが世界に出て行くことを望む一方で、彼らが戻ってくることも望んでいる」。
しかし、誰もが「人口減少」という話を否定的に捉えているわけではない。目の前の緑を冷静に観察しながら、福田さんは指摘した、 「このまま人口が減り続ければ、村ごと移転する先進地も出てくるかもしれません。しかし、ここの自治体は今でも公共事業やインフラ管理に特別な予算を割いています。合理性に欠けていますね。これが "日本らしさ "と言えるかどうかはわかりませんが......」。
コミュニティーセンター「おらたる」に戻ると、すでに午後4時を過ぎていた。錦鯉Tシャツの上に深いブルーのジャケットを羽織ったRyuさんが、カウンターの横に立っていた。デジタル村民コミュニティでは、地域の闘牛文化を応援するために闘牛ファンクラブが設立されており、Ryuさんはその中心メンバーの一人だった。今回、私が山古志を訪れたのも、地元で開催される闘牛の全国大会に参加するためだった。私は知らなかったが、来場者の熱狂の裏には、関係者の懸念があった。
「人口が減少し、飼料費が高騰するなか、特に最近の円安の進行で、そのほとんどが輸入に頼っている。闘牛関係者から自治体の役人まで、さまざまな立場の人が集まっているんです」と、Ryuさんはガラス戸に近づきながら言った。地域の中心メンバーのひとりである彼は、山古志のスポークスマンとして、地域活性化に関する公的な議論に頻繁に顔を出す。
翌朝早く、Ryuさんは私に闘牛大会の2500円のチケットを手渡した。この「学生特典」に、私は感謝して受け取った。11時頃、開会式が始まった。司会者は観客全員に、丘の中腹にある記念碑に向かって1分間の黙祷を捧げるよう呼びかけた。そこには日本の国旗が掲げられ、天皇皇后両陛下が中越地震の被災者を慰問されたことを思い起こさせた。続いて、佐藤ひらりという女性が国歌を斉唱し、そして長岡花火大会の復興祈願花火フェニックスで使われる曲「ジュピター」が登場した。続いて、山古志支所長、新潟県知事、衆議院議員など政界関係者のスピーチがあった。出席者は目測で約500人、そのうち「来賓」は約70人、観客は400人以上、報道陣は数人だった。
まず、地元の闘牛協会会長から、闘牛の日頃の努力を称える表彰状が贈られた。「すでに18歳、人間の年齢に換算すると90歳以上に相当する」その後、10人以上の闘牛士(勢子)が場内に整列し、主催者の紹介を待った。その中で、2人の女性の存在が際立っていた。2018年、山古志では女性の闘牛参加が解禁され、地元の女性たちが「牛の角突き女子部」を結成した。部会長の五十嵐さんは、仲間を紹介するとき、時折「すごい」「ついこう」という言葉を連発し、政治家のスピーチとは対照的だった。また、「アトラクション」では、沖縄・徳之島の黒装束の女性がピンクの綱を持ち、男性の太鼓の伴奏の中、牛をアリーナに導いた。伝統文化の保護に対する懸念は、これまで「門番」によって設けられていた参入障壁(性別制限など)を低くし、Ryuさんのような人々が飄々としていることを不可能にしている。
デジタル村民の流動性
日本の北陸地方では、冬になると海を渡る湿った北西の季節風の影響で雪が積もり、道路脇の消火栓でさえ3~4メートルの高さにまで伸びる。自転車で時速20キロ以上のスピードで下り坂を下っていると、風が耳元で優しくささやいた。山の風は氷のように冷たくなり、登り坂でかいた汗を吹き飛ばしてくれた。鳥のさえずり、木々の葉のざわめき、陽光が鯉の泳ぐ池を照らし、そびえ立つカエデの木立に薄っすらと影を落とす。
「初めて訪れたのは3月でした。福岡からここまで来るのに、ほとんど一日がかりでした」と絶景さんは振り返った。青いストライプのシャツに黄色の作業ズボンをはき、小さなあごひげをたくわえた彼は、ヒッピーのようなオーラを放っていた。2021年からバーチャルリアリティプラットフォーム「どこでもドア」の 「世界構築クリエイター」となり、「楽しい」生活を送っていた。山古志への旅は2カ月ですでに4回目、来週も行く予定だという。
「文化遺産」をデジタル化することが、絶景さんの度重なる訪問の主なミッションだった。「試してみませんか?」と、彼は笑顔で白いオキュラス・デバイスを差し出した。ヘッドギアの重さを感じながら、私は右手でオキュラスを持ち上げ、目の圧迫感を和らげた。それから10分ほどで、日本最長の手掘りトンネル「中山トンネル」のVRシーンが目の前に広がった。昨年も訪れたことがあるが、安全上の問題からある地点から先は立ち入り禁止になっていた。絶景さんのレンズ越しにトンネルの奥へ進むと、コウモリが飛んできた。
「VRを使えば、より多くの人が、普段目にすることのない光景を体験することができます」とRyuさんは言った。物理的な移動だけでなく、バーチャルな移動の機会も増やしたいとのことようだ。
「しかも、理解の敷居が低くなリます。例えば闘牛。わざわざここに来たいと思う人、来れる人がどれだけいるでしょうか?」
しかし、流動性の誘発はデジタル技術のみならず、複数のメディアを戦略的に活用することが重要であり、日本のデジタル化の現状と密接に関係している。Ryuさんにとって、ソーシャルメディアは「珍しいプロモーション・チャンネル」だった。そのため、闘牛の全国大会の前夜、クラブのマネージャーであるKanemitsuさんはポスターを印刷し、東京駅に貼り出して宣伝した。
2019年に働き方改革が実施され、パンデミックの中でリモートワークが拡大して以来、空間的に柔軟な移動が一部の職業集団の日常生活の一部となっている。国は既存の社会制度を守りつつ、国民の流動化を促し、「ワーケーション」のような企業の研修文化に密接に関連した新しいワークライフバランスモデルや、総務省が推進する「ふるさとワーキングホリデー」を導入している。また、「交流人口」(観光客など、その地域と時々縁がある人口)と「関係人口」(その地域と安定的に縁がある人口)というように、市民の流動性をコントロールするためには、人口の分類も必要である。三菱総合研究所プラチナ社会研究センターの松田智明主席研究員(2020年)は、縮小社会における地域活性化と働き方改革の同時実現を目指し、「逆参勤交代」という概念を提唱した。都市部の社員が地方・郊外で限定的なリモートワークを行い、毎週数日は会社に、数日は地域社会に貢献することで、人的資本を時空を超えて循環させるという構想だ。
人的資本の循環によって、デジタル市民は複数の場所に「拠点」を作る機会を得ることができる。Hommaさんは、絶景さんと同じように「多拠点生活」を送っている。このライフスタイルは「新鮮さ」と「面白さ」の源であるが、各地域のホテル宿泊料金の値上げにより、コストは上昇している。その他の欠点について尋ねると、彼はグレーのアヒル帽に触れ、「落ち着きはないね」と答えた。
地元の村民
外部からの面白さと賑わい
VRの世界に没頭していると、向かいに中年男性が座っているのに気づいた。両手を胸の前で組み、背もたれにしっかりと寄りかかっている。オキュラスを通して、私は絶景さんが彼のために装置を調整しているのを垣間見た。「これが闘牛のシーンです。お楽しみください」と絶景さんは指示した。
「みんな知ってる、家族のようだ。」向こうのおじさんは、子供の頃から闘牛文化に親しんできたらしい。彼は今、闘牛の入場を見守っているのだろう。
VR体験中、絶景さんとおじさんの会話は途切れることなく続き、闘牛における意義(お互い様)、天神祭の歌、盆踊り、方言などの話題に触れた。「十数年前の震災で全村避難した後、蕎麦を打ってみようと思ったんです。それ以来、この店をやっています。当初の計画とは違うけど、みんなが応援してくれたおかげです」。
近くでそば屋を営むおじさんのように、おらたるに集う村人たちは最先端のデジタル技術に触れる機会を得ている。センターのWiFiは3台のVR機器の同時操作に対応している。コロナ禍が終わりに近づくにつれ、竹内さんたちは地元の村人たちがおらたるで都会のデジタル住民とオンラインで交流できるよう手配し、さらには村の高齢者たちにメタマスクのようなツールを使って無料でもらったデジタル鯉を管理する方法を教えた。
Ryuさんは、地元の村人たちは新しい技術を一度試してみると「興味をそそられる」と感じることが多く、最初の一歩が大きな障害になると話してくれた。研究によれば、家族や友人からのソーシャル・ネットワークのインセンティブが、高齢者のソーシャルメディアなどの技術受容を促進する上で重要な役割を果たすという。
地域住民にとって、デジタル村民は、現象の技術的な再処理や、「当たり前のもの」を驚異に変えるまなざしを伴う、エキゾチックな「面白さ」をもたらす。それは二つの要因がある。一つ目は、「若い人たちが来るのはいいことだ」といった感情に象徴されるように、縮小と消滅という実存的危機のもとで、新しい活力あるエネルギーの流れへの憧れである。二つ目は、外部文化との長期的な交流である。山古志は10年以上にわたり、外部のNPOやボランティアと定期的な支援交流を続けてきた。また、古くから続く錦鯉の商業文化もある。
昨年10月下旬、村の鯉師たちは全国錦鯉品評会の準備に追われていた。おらたるの近くにある小さな市場に行くと、3つの青いプラスチック水槽の中に色鮮やかで大きな体の錦鯉が泳いでいた。私は水槽のそばに立っていた中年の男性と会話をした。彼はブルーグレーの作業着にゴム長靴を履き、手伝いに来たと言った。私が中国から来たと聞くと、彼は若い頃、中国の東部沿岸地方でビジネスをしていたことを思い出し始めた。「中国の富裕層は本当に鯉が好きだった。ステータスの象徴だからね。私も多くの中国人の顧客を抱えていました」。
この男性のように、地元の村人の多くは、山古志と外部の人々との微妙なつながりを保っている。「以前は山古志に住んでいましたが、震災後に長岡市に引っ越しました。山古志のほうが不便なんだけど、ほとんど毎日車で来ているんです」と、あるバスの運転手が話してくれた。40代か50代と思われる彼は、毎日住民、特に数少ない小学生を山へ送迎していた。
昨年の秋、青々とした野菜畑で、大きなネギの手入れに忙しいKyokoさんに出会った。以前、彼女の実家のゲストハウスに泊まろうと思い、電話で話したことがあった。思いがけず、のんびりと朝の散歩をしているときに出会った。
「ごめんなさいね、最近鯉のお客さんが泊まってて。でも、ここでお会いできるのは縁ですね」と、彼女は自分の仕事を置き、手袋をはめた手を叩いて立ち上がった。澄んだ瞳と健康的な顔色の彼女は、真っ白な歯を見せて微笑んだ。
Kyokoさんは毎日、おらたる1階の特産品売り場に新鮮な野菜を届けている。さらに、デジタル村民コミュニティ内の「村民インタビュー」にも参加している。そのため、他の高齢者に比べ、デジタル村民コミュニティには詳しい。
「難しいことはよくわからないけど、人が集まるとにぎやかになって、それがいいね」。
「賑わい」は、集うことの相乗効果から生まれる。しかし、外部からの刺激がなくても、Kyokoさんは日々の何気ない生活の中につながりを見出している。「カラスの鳴き声を聞くと、おはようと言ってくれているような気がします。頭上の紅葉も、育てている野菜も、毎日変わるんです」。
60年以上前にお嫁さんとして山古志に移り住んだKyokoさんは、この土地に深い愛着を抱いている。「震災後、都会での生活に慣れなかったんです。震災後、都会での生活に慣れることができず、ずっとここに戻りたいと思っていたんです」。Kyokoさんの「にぎやかさ」は、人だけでなく、この土地に生きる多くの生き物たちから生まれている。
内なるエネルギー
「豊かな活力を目の当たりにしました」と京都大学の博士課程に在籍するリキさんは語った。2ヶ月前、彼女はボランティアとして初めて山古志を訪れ、デジタル・コミュニティ内でアンケート調査を行った。山古志のストーリーは研究者や学生たちを虜にし、プロジェクトの展開に興味津々だ。私は、自分の観察と感じたことを彼女と共有することに同意し、闘牛イベントの翌日にDiscordで中国語で話をした。
「一番印象的だったのは、70歳、80歳のおばあちゃんたちが、いまだに毎日畑で元気に働いている姿だった。彼らに比べたら、私たち若者は逞しくないかもしれない。」
デジタル村民にとって、地元住民の「生きる力」は本当に立派なものだ。この力強さは、しばしば都会の消費主義とは対照的で、デジタル村民に自然への回帰と自給自足を思い起こさせる。地元の村人たちはただ「平和に暮らしている」。遠くからやってきた部外者にとっては、それが癒しとインスピレーションの源となる。
サイクリングの途中、福田さんと私は鯉の飼育場を通りかかった。扉が半開きだったので中を覗くと、池にはふっくらとした鯉が自由に泳いでいた。白いゴム長靴を履いた男性が歩いてきて、木の台に乗り、家の中に入った。彼は青いバケツを上手に池の方に傾けて、一握りの餌を撒き、魚たちはそれを食べようと躍起になった。
「入ってもいいですか?」と福田さんが尋ねたが、返事はなく、福田さんは質問を繰り返した。
男性には聞こえていないようだ。それを見て、私は福田さんに手を振った、「邪魔しないようにしましょう」。そして私たちは走り続けた。
山頂に近づくと、福田さんが立ち止まった。斜面を慎重に下っていくと、開けた場所にしゃがみこんで作業をしている人影が見えた。
「山頂からの眺めはとてもきれいで、雑草が生い茂っていたらもったいない。ここは以前、鯉の養殖池でした。震災の2年後に開墾したんです」。
私は目の前に咲き誇る、18年間の日々の労働を象徴する花々に目をやった。
身長1.5メートルほどのReikoさんは、帽子をかぶり、青いマスクのスカーフを巻いていた。明るい瞳を輝かせ、スカーフの端からは数本の白髪がのぞいていた。彼女は携帯電話を取り出し、彼女が植えたチューリップの写真を見せてくれた。
「Reikoさんはこの花を自分の子供のように大切にしていますね」。
「そうですよ」。彼女は黒い長い布を2枚重ねたばかりの花壇を見つめた。
「この美しい花を通して、訪れる人たちに感謝の気持ちを伝えたいんです。昔は父と一緒に手入れをしたものです。父はもう96歳で、ここ数年は働けていませんが、今でも見に来てくれます」。彼女は携帯電話をいじり、色とりどりの山々を背景にまっすぐ立つ、白髪で赤ら顔の老人の写真を見せた。後で知ったことだが、彼はこの土地の維持に尽力している元村長だった。
「ここに住んでいる人たちはいつも忙しいんですよ」と福田さんは言った。「そう、一年中仕事があるんだ」と私は静かに思った。私が出会った村人たちは、思いがけないエネルギーに満ちていた。老いてなお、周囲と互恵関係を築く方法を見つけている。
村人たちの労働は、野菜や鯉や花に具現化されるだけでなく、彼らの日常生活の光景にも写し出されている。福田さんは、「写真の家」と書かれたプレートのある黒い木造2階建ての家に連れて行ってくれた。「ここはかつて小学校だった。自然の風景に魅せられた写真家がここに住み着き、展示室にしたんです」。
私の視線は窓の外の緑の木々と音楽の対位法のように調和するおとぎ話の森の絵にとどまった。
「しかし、写真家が高齢になったため、お客さんを迎える体力がなくなり、この場所は次第に一般公開されなくなりました」。
持続可能性
山古志のデジタル・コミュニティは予想外の成功を収めている。わずか2年余りの間に、1,700人以上のデジタル住民が集まり、3,000万円近い資金が集まった。このコミュニティは、国内外のメディアや国の機関から大きな注目を集め、グッドデザイン賞、デジ田甲子園賞、総務大臣賞などの名誉ある賞を受賞した。山古志は、地域活性化、デジタル政策、さらには「クールジャパン」ブランドのモデルとなった。インターネット起業家で研究者の伊藤穰一や、元デジタル担当大臣の平井卓也といった著名人が、公的な場で頻繁に山古志について論じている。自由民主党のウェブサイトでは、「新しい資本主義の『扉』」と題したシリーズで、山古志を「世界初のWeb3による地方活性化プロジェクト」として取り上げている。
一見すると、山古志は北海道や長野といった他の人気観光地と比べて競争力があるようには見えない。新潟出身の福田さんは、今の仕事をするまで山古志のことをまったく知らなかったという。「長岡の人はここには来ないでしょう。通る道もない」。外部の人に山古志の話をすると、「鯉は資源じゃないのか」「闘牛はもう一つの資源よね」そのため、資源の少ない他の地域を心配されることも多い。しかし、こうした「資源」を超えて、日々の交流から明らかになったのは、個人間のエネルギーの流れや互恵関係であり、それこそがコミュニティを維持する本質的な原動力なのかもしれない。
私は山古志のデジタル・コミュニティの持続可能性について楽観的であり続ける。アメリカの政治学者アイリス・マリオン・ヤング(Iris Marion Young, 2002)が提唱した「差別化された連帯」を体現しているのだ。言い換えれば、このコミュニティでは、社会的・文化的な親和性を持つ個人が、必要に応じて自分の独自性を確認しながら、「連帯」に基づく包括的な理想を維持する現実的な方法を見つけることができる。ここでいう「連帯」とは、「想定される相互尊重と、距離を置いた気遣い 」のことである。ヤングによれば、国家を超えた人々の相互依存が国境を越えたグローバルな問題になっている以上、正義の義務の範囲は国家という枠組みから解放されるべきである。私は、山古志が広大で複雑で多様なグローバル社会の中で、「ローカルな正義」の居場所を見つけようと努力している姿を見ている。山古志の知名度が上がったことで、人口動態の問題に直面している他の自治体も、その取り組みを観察し、模倣するようになった。アテンション・キャピタルによる競争や階層化が避けられないのであれば、四国徳島観光協会で耳にした一言が実現することを願う:「競争から共創へ」。
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